4.26.2017

[music] Caetano Veloso & Teresa Cristina

21日、金曜日の晩、ふたたびBarbicanに行ってライブ。チケットを取ったとき、引越し前日であることはわかっていた気がする。 でも引越し当日だったとしてもたぶん行ったのだとおもう。

もういっこ、同じ日でぶつかっていた少し悩んだライブがあって、Southbankでの"An Ambient Evening with The Orb & Friends Electrical"ていうアンビエントの人たちがいっぱい出るやつで、アンビエントってライブでちゃんと聴いたことがないしな、だったのだがこれ4時間やる、って書いてあったので諦めた。 引越し前夜に4時間もライブで遊んでいるわけにはいかない  - でも結局どっちみちなーんもやらなかったよね、きみ。

これ、昨年10月の恵比寿のモントルーのに行けなかった復讐でもあって、Caetanoのライブってどれくらいぶりなのか、を掘ってみると、最後に見たのは2004年、Carnegie HallのDavid Byrneと一緒にやったやつだった。13年ぶり … やーねー。
もう四半世紀以上前(1990?)、考えたくもないくらいおお昔の日本青年館での初来日のライブで - 英国音楽の衰退とグランジの台頭で路頭に迷いかけていた自分の - 音楽観をひっくり返してくれたのが彼のライブで、以降NYでは結構通ったりしたのだが、ここんところはぜんぜんで、でも行きたいなー行かなきゃなー、だったの。

最初にCaetanoがひとりで出てきて、丁寧に会場に少しだけいる(笑)English Speakerのために英語でお話します、と(ぱちぱち)。
このコンサートでは、ギターとシンガー、3人くらいの最小構成でサンバのエッセンスを表現する、というのをやってみたかったのです、と。 うんうん。

最初にTeresa Cristinaさんとギター(7弦?)のCarlinhos Sete Cordasさんによるデュオ。
ギターとは思えない音域を自在に上下する分厚い伴奏にTeresaさんのゆったりどっしりとした歌唱が絡んで、びくともしない重心の低さと強さで吹きあげてくる。
一緒に歌えるような技術レベルではないので鼻歌でふんふんするひと多数。 MCでおもしろかったのはEscola de SambaのMangueiraの歌を歌うとき、あたしはずっとPortela(別の名門Escolaね)の歌い手だったんだ、これってどういうことかというと、マンチェスターのサポーターがチェルシーの応援歌を歌うようなもんなんだ、わかるか? って。 (場内爆笑)

40分弱のTeresaさんの歌のあと、間をおかずにCaetanoがギターいっぽん抱えて登場してさくさく歌いだす。
ああこれ、この声だわ。で、それだけでぜんぶ満たされて、音で満たされる、音が満ちてくるというのはこういうことなのだ、ということを思い出してうっとり。

6曲目くらいに"O Leãozinho”(小ライオンさん)を、それに続けて"Menino do Rio"を歌ってくれて、もうこれでいつしんでもいい引越しなんてどうなったっていい、になって、それからだれも「あの"Moonlight"の」なんて言わなくたってよい絶対の名曲"Cucurrucucú Paloma"をやって、英語のアカペラでCole Porterの”Love for Sale"をやって、最後は3人で"Desde que o Samba é Samba"をやって"Odara"をやって、2時間びっちり。 サンバがどう、ボッサがどう、という以前になんでこんなに不思議に響いてくるのか、なんでこんなに揺さぶられてしまうのだろう、てそればかり思っていた。思ったところでどうなるもんでもない、かきむしられてぼうっとして、それで終わりなんだ。
恋とはそういうもの。たとえばね。

それにしてもロンドンの人たちは、一緒に歌う歌う。 NYのライブではここまでみんなが歌うってなかったよねえ。ロンドンは60年代末、CaetanoとGilが亡命していた先でもあって、Caetanoのほうにも思い入れいっぱいあるようだった。

Caetanoはもう74歳で、それにしてはありえない声で、ずうっと、何度でも聴いていたい。

そして翌日の引越しのあいだは、小ライオンさんが足元にえんえんまとわりついてくるのだった。

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