4.14.2017

[film] Neruda (2016)

7日の金曜日の晩、CurzonのSOHOで見ました。 35mm上映。これももういなくなった詩人のおはなし。
"Jackie"を撮ったPablo Larrainが2016年に、"Jackie"より少し前にリリースしたのがこれ。

『チリの闘い  武器なき民衆の闘争』の頃のNerudaの話かと思っていたらちがった。

40年代、詩人としてはもちろん、チリ共産党の上院議員として十分な人気と名声があったPablo Neruda (Luis Gnecco)を当時の政権は脅威と認識し、公の場で恥をかかせてやれ、と弾圧・捕獲に乗り出して彼の周囲でも逮捕されて収容所に送られる人々が増えていく - 収容所の看守としてピノチェトが一瞬 - もののぜんぜん引っかからないので、大統領直下で秘密警察のÓscar Peluchonneau (Gael García Bernal)を指名して、彼とNerudaの追っかけっこが始まる。

Nerudaはいろんなアングラ酒場や盛り場、隠れ家を悠然と飄々と飛び回っていてまったく尻尾をつかませなくて、それでもだんだん追いつめられていって、やがてアンデスを超えてアルゼンチンの方に向かわざるを得なくなる。それに伴って組織が個人を追いつめる、というより個と個の対決に近づいていく。

追われる側のNerudaはしょうがねえなあ、という感じでいろいろ変装したりしつつすたこら逃げて、追う側のPeluchonneauは尊敬される警察官僚だったパパ - 銅像がある - の名にかけても俺がやる、と静かながらも息が荒くて、どちらかというとPeluchonneauのモノローグの音量のが大きかったりするのだが、その声が終盤に向かってNerudaの声に被っていくように思える。 Nerudaは明確には言わないのだが、詩人の好奇心探究心で明らかに追われていることを楽しんで、そこまで情熱的にに追っかけてくるPeluchonneauに会いたいと - 出会ったときにはどちらかが亡くなってしまうであろうことを承知のうえで - 思っているのではないか、と。 会うことが叶わないひとに向けた一方的な思いがわんわんこだまして画面を埋めていく、というのは"Jackie"がそうだったが、こっちのは双方向で、足跡や雪原に響き渡る雄叫びとか届きようがなくて、そうやってすれ違えばすれ違うほど、ふたつの声は山間谷間に反響してどっちがどっちだかわからなくなっていくような。

そこに何度も繰り返される彼の詩"Tonight I can write the saddest lines…”が重ねられる。

全体としては少しとぼけた追跡ロードムービーなのだが、その後のチリ全土を襲うクーデター以降の悲劇を思うと、まだよい時代だったのかも、とか、なんであそこまで行っちゃったのだろうか、と、そちらのほうが際立ってくる。 俺らなんでこんなことやってるんだろうか ? という誰に聞いたらいいのかわからん宙ぶらりんの問いが。 これも”Jackie”と同様に。

後半の雪山の雪がちらちら舞う景色が素敵で35mmのほうがよいかも。

あと、Gael García Bernalさんの静かに狂っているさま - そこにだれも突っこんであげないさま - がすばらしい。

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